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当園で年4回発行の季刊誌をご案内しています。全ページ分のPDFをご用意していますので、ダウンロードの上、ご覧ください。 |
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竹のように
しなやかに そして 強く |
2008年12月 第52号 冒頭 |
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このたび、内川校下町会連合会と陽風園の三施設(第二万陽苑・第三万陽苑・ハビリポート若葉)が、災害時相互応援協定を結び、協力救援することとなり、有縁の中で心通わせ支え合えることを喜んでいます。 子供の頃、地震が発生したら竹林へ逃げ込めば安全だと親に教えられたことを思い出しました。内川地区には竹林が多く災害の少ない安全な地域ですが、これを機会にして双方連絡を密にし、災害時の対応に如何なきよう努めていきたいと考えています。 内川地区に多い竹は生長が早く柔剛を併せ持つ理想的な建築資材です。中国を旅しますと高層建築の足場によく竹材が利用されています。日本でも身近にある竹の特性を活かして道具として上手に利用しています。物干し竿や釣り竿は竹の強靭性と反発力を、計算尺や物差しは竹の低伸縮性を、茶先や竹籠は柔軟性を利用しています。更に、竹には自浄作用があるのです。竹林の中で動物が死んでも腐らないと言われますし、竹林の中で糞をしても匂わないと聞いています。昔の人が旅に出掛ける時、竹の皮でおむすびを包み、竹筒を水筒代りにして水を入れ長旅をしたものです。これらは竹から発散する揮発成分の自浄作用によるもので、竹の含有成分の中に抗菌性物質や異臭を分解する物質が含まれているからだと伺ったことがあります。 竹林に囲まれました静かな清らかな環境の内川地区と災害協定を結び、施設に入所している方々が安全に安心して生活し、豊かな自然や優しい人達と関わりを持ち、竹のようにしなやかに、そして強く長寿でありますように念じています。
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共生
・共育 |
2008年9月 第51号 冒頭 |
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共生・共育 風 鈴 小鳥の巣箱みたいな可愛い家が 肩を寄せ合って 並んでいる川沿いの商店街へ 日の不自由な方が引越してきました 朝夕 白い杖を頼りに狭い裏道を通ります ある日 狭い裏道の小さいお店の軒下にかわいい 風鈴が一個 チリリンリンと下がりました 日がたつにつれて裏道のあちらこちらの家に チリリンチリリン チリリンリン… … と かわいい風鈴が一つまた一つ増えてきました 目の不自由な方は大喜び 安心して歩けます 八百屋さんの風鈴は チーン・チーン 豆腐屋さんの風鈴は コーン・コーン 魚屋さんの風鈴は リリリーン・リン お寺の鐘は ゴーン・ゴーン かわいい音色が聞こえます 大きな音もひびきます 優しい心が伝わります 善意の心が広がります
風鈴という詩を紹介しました。陽風園の施設には障害のある方が三百五十余名生活しています。 一人一人日々明るく楽しく暮らしていくことができますように、自立度の高い豊かな生活環境を実現することについて、その具現化や推進の一例を示唆してくれています。幸い 陽風園では長年培ってきました福祉の基盤が堅実です。みんなで励ましあい助けあい支えあって共生共育することができる実践を 日々重ねなければなりません。不思議な出合いを大切に、生きる喜びを彼に求めさせたくて……。
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あいさつ
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2008年6月 第50号 冒頭 |
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挨拶することの大切さについて、論語に「礼の用は和を貴しとなす」と示され、いつでもどこでもお互いの敬意や親愛の情を挨拶や態度で表わすことが人の倫であると教えてくれています。動物の社会でも、敵意や攻撃性のないことを挨拶や行動で表現し、お互いの関係を上手に保って生きている姿をよく見かけます。 挨拶の大切さを今更言うまでもありません。古人は挨拶の三原則として「いつでも笑顔で、明るく大きい声で、相手より先に挨拶し続けること」と教えてくれています。親としてわが子に、これからの社会を生きぬくため必須の習得マナーとして、挨拶の大切 なことを幼い頃から躾けておかなければなりません。なのに最近では親子平等意識からでしょうか…”お父さんオハヨウゴザイマス。お母さんオヤスミナサイ。おじいちゃんコンニチワ・おばあちゃんアリガトウゴザイマス…“がなど基本的な躾ができていなく無頓着で育てているように思われて残念です。 数秒間の挨拶らでその人の人間的な力量まで測られるのです。挨拶は一度身につければ習慣となります。更にレベルの高い挨拶ができれば、身についた大きな財産となることを忘れてはなりません。私達の遠い祖先から伝えられてきたこの挨拶…いわば、お互いに、毎日暮していくための潤滑油とでもいった尊い働きをしているのです。 「陽風園を訪ねましたら職員の皆さん明るく挨拶して暖かく迎えてくだされ入園しやすく、用件もスムーズに済ませることができていい雰囲気ですね…」と、一面われますように努めていきたいものです。毎日毎日の尊い累積行為が時折訪ねられます人に、即 評価されるのです。凡事徹底、素直で謙虚な気持ちがあれば、自ずから挨拶ができ人間関係の調和が保たれていくのです。
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就任ご挨拶
理事長 奥 清 |
2008年3月 第49号 冒頭 |
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社会福祉法人陽風園の理事長に就任いたしました。先ず、園祖小野太三郎さんの墓前に額ずき、心引き締る思いとともに、在りし日の人となりを偲びました。 園祖太三郎さんは十歳の時、近くの近江町市場へ遊びに出掛けました。市場の中程まで来ましたら大勢の人だかりです。何だろう?と覗き込むと、甲羅の大きさは 一メートル余、足の大さは二握りほど、大きな海亀が繋がれて放し亀と看板が立てられています。甲羅には赤く”幸‘という字が書かれています。この亀に向かって小銭を投げ”幸‘という字に当てると、今年一年は幸福になれると、みんな小銭を投げています。 そこから少し離れた所に、一老人が坐っています。頭は白髪・衣は破れ。裸足、腰も曲っています。お椀を前にして「お恵みください」と物乞いをしていますが、誰も見向きもしません。亀には小銭を投げますが老人には恵んでくれないのです。大三郎さんは腹が立ちました。「なんと惨い事だろう。亀よりも人間の方が大事なのにどうして分からないんだろう。子供の僕でも分かるのに……。よし!僕が大きくなっても亀にお金を投げるような人間にならない。お年寄りを心から大事にしてあげる人になろう!」と心に誓いました。夕方遅くなっても老人の側を離れませんでした。 と福祉の先覚者 小野太三郎さんの一節が、金沢偉人物語に記されていす。私も、大三郎さんのお心を肝に銘じ、誠実にお勤めしますと手を合せて第一歩を踏み出しました。至らぬ者ですがどうぞよろしくお願いを申し上げます。
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愚感 「異常」の多い今の世
〜年の瀬に思うこと〜 |
2007年12月 第48号 冒頭 |
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理事長 安田 隆明 雪なしの新春から早くも立冬を経て、年の瀬に向かい慌しく時を刻んでまいりました。自然の摂理は四季変わることなく装いを新たにしながらも、歳月の流れは余りにも早く、これも社会経済の激動によるものであろうか…。 振り返れば、新春の夢と希望に反し、政経ともに多事多難にして「異常」な越し方でありました。長雨に引き続く夏日、真夏日は気象観測史上初の長期かつ熱射の「異常気象」を記録し、これに対応する冷房用電力の消費もまた史上最高の記録となり、「異常」そのものでありました。さらに能登地区の地震発生は、県政近代史上未だかつてない激甚災害であり、「異常」事態の天災でありました。被災者の御一同に心からお見舞い申し上げ、一日も早い復興の日を待望しお祈りいたしております。 一方、政界においては「ねじれ国会」のもと、新総理の所信演説に対する各党代表質問の本会議寸前における突然の総理辞任の表明は共に異常事態そのものであり、政治日程の先行きに不安をもたらしたのも未だかつてない異例そのものでありましょう。 漢字一文字で一年を表現する「命」に代わり、本年は「異」と表現する人もある年の瀬でもあります。平常な環境のもとで「異常」のない越年を願いつつ…。
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諾否が知りたい
〜尊徳翁の像の寄付行為〜 |
2007年6月 第46号 冒頭 |
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「厳しい経済環境にありながらも、今日経営者としての責を果しているのも、小学校当時在校していたこの母校の師恩によるものであり、教えられた尊徳翁にあやかり二宮金次郎の像を寄付させて頂きたい…」 山村僻地の小学校で学び育ち、夢を金沢で経済人として… 畏敬する親友が母校の改築に当たり、校長に対する寄付行為の言葉である。これに対し校長より「関係当局と相談し、いずれ諾否を申し上げたい…」とのことであり、爾来半年になるが結論を得ないまま今日に至っているとのことである。 「貧にして勤倹貯蓄」という翁の徳行が今日の児童教育に果たして相応か、児童保護法をはじめ関係法令との整合性等につき教育委員会等の論議が未だ続行中であり、これがため諾否の結着に至らないとの由である。人は皆、時代に学ぶこととは承知しながらも、戦前派の我々にはこの像の寄付行為が論議の渦中の案件となるとは不思議でならない。 安倍内閣の政治理念は「美しい日本の創造」である。尊徳翁の徳行こそ政治理念と整合性を共にする教典でなかろうか。注目する教委の論議でもある。
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部屋からの独り言
〜道徳論が何故…〜 |
2007年3月 第45号 冒頭 |
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戦後六十有余年、その間失われた負の遺産はあまりにも多く、今もなお残されている。勿論、この負に対し、先人、先達の英知により経済大国として列国に伍し、平和を享受している今の世に感謝しなくてはならない。 しかし、物に走り心を失い凶悪犯行が多発し情愛なきを憂うる今の世であり、教育の荒廃と言われるのも負の患いである。幸い、安倍内閣は国の将来像を「美しい日本」の創造とし、教育改革を最重要課題として、基本法の改正に引き続き目下関連法案を策定中である。 凡そ、義務教育をはじめ社会、家庭教育は、国造りの原点である。しかし、改正法には「世界の中の日本人」「亀鑑意識の昂揚」等の文言はあるものの、今求められているのは古来我々が教育された恩愛と情愛のある道徳観の教育理念ではなかろうか。なぜ道徳教育という徳目が明定されないのか不思議でならない。 父母なくして子はなく、子はまた父母あっての兄弟である。父母に孝志を尽くし家族仲良くすること、人倫の大義でもある。施設とは、この情愛と恩愛の心の宿る館でもある。また、道徳観があっての「美しい日本」ではなかろうか。 二月十日記
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メールに学ぶ
〜道一筋に道を拓く〜 |
2006年9月 第43号 冒頭 |
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「選手の皆さん みなさんは沖縄という小さな島に生れ育った球児から、今日は日本の甲子園という大きな球場での戦いです。立派です。必勝を信じながら八重島から応援しております(石垣島の主婦より)」 連日の猛暑の中から力闘し、晴れの甲子園全国大会で迎えた準決勝戦の時、八重山商工高校に打電された応援メールの放送である。勝者も敗者も共に 涙があり、体力・気力を振りしぼっての試合は我々に深い感動を与えての大会でもある。その感動の中にありながらも、このメールは何かしら心に残る応援であり、メールそのものにも感動を覚えた一人でもある。 先の大戦で戦場と化した不幸な島、そして小さな孤島に生れ育ちながらも、志を球児として、夢を甲子園にと日夜練成しての出場であり準決勝戦である。小さくとも志を立て、その道一筋に責任感と使命感とチームのための協調性があっての出場でもある。メールは、短文にしてその意を述べられずとも、球児に寄せる心には、応援は素より、私共にとっては人生の生き様を教え覚醒を促すメールでもなかろうか。
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「いいね金沢」の語源に施設もあり
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2006年6月 第42号 冒頭 |
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「いいね金沢」という言葉がある。 このふる里に生れ育つた私共は素より金沢を訪れた人、転勤族の人、他国の人々からもよく聞かされる言葉であり、その言葉は誰が言うともなく自然と心の中から出て来る言葉でもある。 森の都、美しく清き川の流れ、四季の味覚、先人による伝統文化と工芸、加賀藩の開城以来戦禍に見舞われない古い街並みに加えて善隣という古き良き隣保と交流に由来する所以でもあろうか。 施設に奉仕する我々は、善隣の精神に則り福祉の業が負荷されている。 「いいね金沢」の語源は、その原点は幸せであり安心そのものでもある。施設が機能しての安心であり、幸せであり、「いい金沢」でもある。 「いいね金沢」に応え金沢らしい施設であるため、その任は重くその責を果たすため日々精進しなくてはなるまい。施設が機能しなければ「いい金沢」の顔も曇り、都市機能の不全を意味するものである。
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堪風雪
〜その遺産は文化でもある〜 |
2006年3月 第41号 冒頭 |
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気象庁の長期予報に反し、旧年十二月は記録破りの豪雪となり、これがため行政当局は補正予算をもって対応する年末、年始の年明けでもある。 雪国に生れ育った我々には、幼少にして雪と共生し越冬する生活の知恵の数々を教えられ学んだ経験者でもある。そこには、親たちは越冬に備えての食材や燃料の備蓄もあり、子供たちは手作りの雪下駄で滑り戯れ、物流は雪橇をもって用を果たすなど、行政に依存することなく自助と隣保による自立社会という冬でもある。 我々は雪害を憎む。しかし、越冬という厳しい生活環境の中から備蓄のため多くの「食材」を造り、燃料としては「炭焼窯」を構築し、更には「氷室」とこれにまつわる「氷室饅頭」や木々を守るための「雪づり」等々… 憎む中から耐え忍ぶ心をも学び、兼六園の雪づりは冬の風物となり美しい一幅の画ともなり、多くの人々を呼ぶ今の世である。生活環境は変わり、越冬のため先人が苦労した数々の遺産は忘却しつつあるものの、その遺産は今もなお生き続け、食文化であり知恵の文化財であることを忘れてはなるまい。 建築基準法違反事件は重大な政治問題として世を乱している。先人は、風雪に耐え災害を忍ぶ「合掌造り」という建築構造をも創出している。 「温故知新」古きを知り新しく道を拓くため、今こそ先人の知恵に学ばなくてはなるまい。
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自己責任と説明責任
〜大会宣言に寄せて〜 |
2005年12月 第40号 冒頭 |
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「我々は利用者の尊厳を護り安心して生活のできる介護・福祉サービスを提供し、また自己改革、新機能づくりに努めます」 全国老人福祉施設協議会の年次大会において採択した大会宣言の一節である。心読すれば、道一筋に日々施設を護り奉仕の業に精励する私共の自己反省と自己責任を自覚し、これに対応する真摯な心情の表明でもある。反面この言葉は、為政者は素より社会一般に対し、理解と協力を求める切実な要請を意味するものでもある。 時偶々、行財改革のもとで福祉政策は重要な転換期を迎え、社会保障制度の抜本的な見直しが審議され進行中である。少子高齢化社会に対応する長期且つ安定した福祉サービスの供給のため、審議会は歳出構造の改革に当り「まず税外に加え自己負担の増幅ありき…」との論議が進行中との声もある。国、地方自治団体における公債残の増大、少子高齢化等の環境により政策選択の道のりは厳しいものとは予見しながらも、そこには説明責任を果たしての政策決定でなくてはなるまい。 今次大会における大会宣言は、良識ある我々の自己責任と自己反省の表明であることに対し、審議の当局もまたこの際、その経緯や論議を良く理解するよう説明責任を求めるのは、独り我々のみならず要介護者の願いでもある。 説明責任を果たすところには、理解もあり納得もある。大会宣言の心情に応えるためにも…
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戦後六十年に思うこと
〜負の遺産に心が痛む〜 |
2005年9月 第39号 冒頭 |
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政治も行政も国民をして「この国に生まれ、このふる里に生を得たことに幸せとよろこびを覚える」ということが究極の目的である。幸い我々は、この日本にそしてこのふる里に生まれ育ち、安住の日々を享受していることに幸せを覚えなくてはなるまい。人生とは、不思議にして奇なるものである。もしあのイラクに、あの中東に生を得たとすれば、安住の地ではなく日々生と死の境地彷徨う日々である。このふる里に生を得たことに幸せを……。 しかし、晩節を迎えた高齢者は、先の大戦において死を顧みず国難に殉じ銃後の防人として戦った戦争経験者であり、戦後はあの廃塵の中から復興に、更には新生日本の再建のため苦節を克服した先人であり先達である。その道のりは筆舌に尽きないものがある。にも拘らず、戦後六十年その間の軌跡は忘却の彼方に押し流され風化しつつある今の世である。そこには、物に走り心を失い、古来の美徳をも喪失しつつあることに気付かなくてはなるまい。 その根源を辿れば勝者にして敗者に課せられた教育基本法にあるとの論説がある。その論説に拘らずとも敗者として大きなものを失い、今もなお「負の遺産」を背負っていることは事実である。負の遺産から脱却するため沖縄も返還され、行財政改革も道半ばとは申しながらも平和を享受している今の世である。しかし、今求められているのは喪失されつつある「負の遺産」即ち心の改革ではなかろうか。心とは、政治行政の総てでもある。
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災害に反省を学ぶ
〜自己意識こそその原点〜 |
2005年6月 第38号 冒頭 |
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天災地変に加え凶悪犯罪による悲劇の多発、さらには、今次JR西日本の列車事故等、悲しく胸の痛む報道の日々である。 我々は天災を忌み悲しみ、人災はその人を憎む いつか本稿で述べたところであるが、「地震研究所」「防災研修所」の科学的研究に加え県民挙げての対応にもかかわらず、天災には未だ究明には至らず、これが対応に腐心する今の世である。 災害には、○○天災もあり○○人災もあり、さらには○○自己○○責任もある。天災は天の為せる災いとして人は皆その不幸を悲しみ、人災はその悉くがその犯行や行為を罪としてこれを憎むのは人情としての常であり、入国を抑制しながらもイラクに入国し、外交史上に重要な迷惑煩わした救出事件は自己責任の一つでもある。 一人のために総てがあり、総てのために一人がある JR西日本の一大惨事は、一人の運転手のために本人は素より同社総ての管理体制や経営体質までが問われている。戦災者のため報道のためとは申せ、拉致者一人のためこれが救出のため同社や家族環境までが問われている。科学者として担当技術者として危険な地すべり地帯と指定しながらも、根本的防止対策を見逃した当事者に対する行政責任ありとの声もある。被害者や遺族、国民感情として当然の悲しみや憎みでもある。しかし、その職務に在る者の一人として、その任を果たすことの重きに反省が求められる天災であり人災でもなかろうか。
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罹災者の心に学ぶ
〜ふる里こそ生きる生活の原点〜 |
2005年3月 第37号 冒頭 |
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地震発生にあたり、早速、父の消息を案じて頂き心から感謝、通信不通、ようやく町当局との交信可能、家屋半壊、幸い軽傷、目下避難所に収容、いずれ施設を希望、その節はご配慮を乞う… 更に後日、父は町当局並びに施設関係者の配慮によりようやく念願の施設に入所、心温かい介護の生活の日々、折りにふれ交信、施設のありがたさを知り感謝の極み、安心して飛行訓練中…… 右は、中越地震の発生に際し、十日町出身の土井飛行士(キゴ山天体観察センター名誉館長)がアメリカ・NASA宇宙研究所で訓練中からの電話による交信の一節である。この激甚災にあたり、宇宙航空研究開発機構の関係者一同よりこの父をいち早く何れかの施設にと当園に要請があり、その結果を踏まえての交信でもある。後日承れば「父はふる里を離れることを嫌い、何れの日にかは我が家に帰る……」との一念に燃え、今は亀岡市の施設で帰る日を待ちわびているとのことである。 ふる里こそ生きる人々の原点である証でもあろうか。 同様に、三宅島噴火災により全島民離島の指示により避難生活を東京で過ごした罹災者たちは、四年六か月にわたる苦難の生活から一部規制のもとでようやく帰島の日を迎える。帰る人々は規制と危険を背負い、不安もあり危険もありその心配は大きいが、久々で我がふる里へ我が家へ帰ることが、より大きな喜びであるとの言葉を聞く。ここにも生きる原点がふる里にあることを学ぶ。 施設の人々もまたふる里に郷愁の念を抱き、我が家に心を寄せることを理解しなくてはなるまい。そのために何をなすべきかは我々の勤めである。ふる里の我が家の宿る施設でありたい。
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明暗二極の涙に学ぶ
〜真の家族になり切ることを〜 |
2004年12月 第36号 冒頭 |
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酷暑の中で敢闘した甲子園の球児たちは、勝者も敗者も共に感動の涙で球場を去り母校に帰る。 遠い異国の地で敢闘したアテネ五輪の選手たちも、メダルラッシュに沸く中で国民の声援に涙して母国に帰る。 一方、台風、集中豪雨、中越地震の被災者達は、尊い人命と財を失い悲しい涙と共に救援する人々に感謝の涙を流して復興と再起の日を待つ。 師走を迎え、ふり返れば体力の限界に挑戦した感動の年であり、無念の中から天災を呪い共に涙する越し方でもある。 この涙を我が身に重ね合わせば、そこには自戒と反省を求めての涙であることに気付かなくてはなるまい。勝者も敗者も来るべき次なる晴れの出場にと再挑戦を、被災者へは激甚災の適用を含め防災計画の見直しと国民挙げての救援をも求められている。 数々の思いを抱きながらも、涙する心への対応とは人は皆涙する人々の家族の一員になり切ることを教示する涙でもある。
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園は伝統と歴史を尊ぶ
〜その行き先には幸せがある〜 |
2004年9月 第35号 冒頭 |
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戦後五十九年、先の大戦による悲劇は今の若者たちには風化しつつあるものの、戦争経験者として生きる我々には終生忘れ得ない追憶の八月でもある。そこには、亡き戦友の慰霊と平和を祈る催事があり、生死を共にした戦友の集いがある。 一方、八月ともなれば盂蘭盆を迎え、ふる里に帰省し墓参の努めを果たすため、日本列島は人口の大移動を見る月でもある。慰霊も墓参も尊いわが国の美風であり、生あるものの責務でもある。園にはこの責務を果たすためつと夙に霊苑において慰霊の法要を、地蔵盆の法会を厳修し、園祖小野翁をはじめ今は亡き歴代理事長の墓参が行われている。更には、戦後五十年の記念事業として、職員総ての手による「記念カプセル」を埋蔵し、五十年後(戦後百年)在世する職員の手によりこれを開扉し、今昔に資することとしている。 創始百三十年記念事業として目下建設中のみずき保育園は、明年四月開園を迎えることとなる。奇しくも戦後六十年の記念事業を意味するものでもある。園は伝統と歴史を尊ぶ。伝統とは、改革の連続でもある。老児共生と交流の機能を果たすため、その任は重い中にも行き先には夢と希望と幸せがある。この幸せは福祉を原点とした伝統であり、改革あっての幸せでもある。 八月十五日
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文化都市金沢に思うこと
〜福祉も文化の財である〜 |
2004年6月 第34号 冒頭 |
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金沢は、古くして新しい街である。 行くところに伝統と歴史が漂う文化の香り高い街である。…… (作家 五木先生) 金沢城、兼六園、甍の瓦並み、川の流れ、我がふる里は古くして文化の香り高い古都であり、森の都、北陸の雄都でもある。先人による伝統と歴史に輝く遺産は人を呼び、人もまた自らの街に訪れる。遺産があっての文化都市であり、遺産こそ文化の総てでもある。 人は皆、名勝旧跡、匠の技などをもって文化財とし、これを伝承し保護し、さらには新しく創造することに努めている。この文化遺産には、有形の財もあれば無形の財もある。古来金沢には隣保精神による善隣館という遺産があり、福祉活動の源流でもある。明治六年、私財を投じ慈善の奉仕に生涯を捧げた小野翁は、福祉施設の創始であり斯界の偉人でもある。子として親に尽した孝子の美徳を今に伝える顕彰の碑(平和町)は、恩愛の道義を語り続けている。これらは、貴重な「心のケア」の遺産であり無形の文化財でもある。 今日もまた、新聞紙上に芸能文化、食文化等の文筆が報道されている。貴重な財でありながらも、「福祉文化」という報道が社会の表舞台に登場することのない今の世である。「いいね金沢」という言葉は、文化の総てであり「福祉文化」をも意味するものであろうか。文化という文筆が横溢している社会の中で、伝統と歴史に輝く福祉もまた貴重な文化の財であることを忘れてはなるまい。
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春に季節を学ぶ
〜理事長室からの一人言〜 |
2004年3月 第33号 冒頭 |
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我以外皆我師也 我以外の人、物、大自然のすべてが人生の大切な師である(吉川英治師) 師が生前座右の銘として遣された戒言の一節である。人はみな、学校教育においては師や教材(物)により学び、社会人としては先輩知友から教導され、家庭教育においては親の慈愛により学ぶ。人も物も総てが師であり「師思宏大」と申すべきである。 三年振りの思わない寒風積雪を凌ぎ、早春から春一番を迎える。生あるものの総てが待望する好季であり、森羅万象が春の息吹に目醒め心気も新たに蘇生する春の訪れでもある。あの冠雪の中から春の息吹を覚えやがて訪れる日を待ちわびる木々のため、人々は雪囲いや雪づりを施しその生命を守る(介護)のが園の常である。今は雪も解け庭先の日陰に残る残雪と雪づりを残すのみとなり、積雪当時の面影もなく緑豊かな庭先でもある。 暖冬から一転しての風雪は運休、欠航、負傷者との被害発生により除雪対策の見直しを学ぶ。冬から春へ… 季節は陰から陽にと変り生活環境もこれに順応しての新たな対応を学ぶ。大自然とは、人や物と同時に無言の中からも尊い或るものを教えている。幸い、我がふる里は四季に恵まれた北陸の雄都である。そこには、四季折々にふる里ならではの豊な味覚があり風情もあり慣習もある。その原点は、季節が与え自然の恵みにより学び得た資産であることを忘れてはなるまい。 園の庭先に立つ「雪づり」は木々の守り(介護)の責を果し、今もなお庭木と共に寄り添いながら立っている。木々の求めにより風雪から支えるのみでなく、「備えあれば憂いなし」との教えも与えている。更にはこの雪づりが兼六園の冬の風物詩としての情緒をも与え教えている。 園の春は申すまでもなく、入園者のため季節を念頭に各種の行事予定も計画済みと聞く。幸甚の限りでもある。施設に奉仕する我々は季節に学ばなくてはならない。 春の陽光と共に明るく元気で…
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偶感 師走に想うこと
〜親心に尽す人の道〜 |
2003年12月 第32号 冒頭 |
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師走から年の瀬へと、時の刻みは慌しく流れ、やがて又、冷たく寒い冬を迎えることとなる。 人々は皆、この厳しい寒風を凌ぎ冬ごもりに備えるため、為すべき事の多い師走でもある。 園もまた、予防注射、採暖設備の念査等、ハード、ソフトの両面に亘り備えありと聞く。その配慮その努力には感謝の極みでもある。 農村に生まれた私共には、父は雪垣作りに、母は越冬の食材を漬物にと、子を思う親心の苦労を今も忘れ得ない想い出でもある。貧しくとも子のためには身を粉にして働き、幼き児の成長を祈った親心でもある。 父母なき人はなく、その恩愛に尽すは孝行を以って人倫の第一義となす・・・・ 青春時代に教えられ学んだ教訓の一節である。施設に入園するお年寄りの方々は何人も父母があり、その恩愛により成熟した人々である。不思議な有縁のもとで安住を園に求め越冬する人々でもある。生活を共にし、職域で奉仕する私共には、この尊い親心に対する孝養としての心がなくてはなるまい。施設とは親心の宿る園であり、 孝養を尽す園でもある。 今の世は人心乱れ、父母なき人なしと言いながらも子としての人倫を尽さず、ために不幸な事件の多発を悲しむこの頃でもある。天災に非ず、人災による不幸であり、福祉の原点は人にあることを肝銘すべきでもある。 雪垣は暖房に、漬物はスーパーで、今の世は幸せにして飽食な世でもある。これにもまして親心に対する子の心、おふくろの味、人倫の宿る幸せな園であり施設であることを希求する師走でもある。
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百三十周年の慶節を終えて
〜恩謝の心新たに〜 |
2003年9月 第31号 冒頭 |
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創立百三十周年の記念式典も無事終了することができました。知事、市長をはじめ多数のご来賓のご臨席を頂き、清楚ながらも意義深い式典でもありました。計画に、執行にとご協力を頂いた職員一同の真摯なご協力によるものであり、感謝の極みでもあります。 凡そ、福祉施設にして百三十周年の慶節を迎えるのは、斯界においては稀有なことであり、園にとっては園史の一頁を画する記念事業だけに、その意義は重く、この責を果たす私共の使命もまた重しと申すべきでありましょう。幸い、職員一同の共有の課題として、その責を果たすことができました。幸甚の限りでもあります。 振り返れば、園祖小野翁が明治六年に創始以来の軌跡は今は知る人も無く、文献を辿り「偉大にして、その遺徳を偲びその遺志を後世に継承する使者として、その任を果たす」との理念を旨とし、心新たにしつつ計画され執行された式典であり記念事業でもありました。その視点は ◎園祖および先人、先達、有縁者の顕彰と慰霊 (納骨堂改修および同聖地の整備と小野翁資料室の建設等) ◎入園者第一主義に基づく各施設の生活環境の整備 (各施設の計画による所要事業の着工と、緑の里としての緑化事業等) ◎地域と共に協生する施設 (地域代表者の式典参加と、一日施設長としての委嘱、体験等) によることとし、その視点その構想は職員の英知によるものであり、所謂「職員の手により、職員自らの発創による記念事業」と申すべきでありましょう。職員自らの責任感、使命感により執行されたことに大きな意義を見出す記念事業でもありました。 更に、この慶節との出逢いを頂いた不思議にして有り難い有縁に想いを致さなくてはなりません。百三十年という軌跡は長く遠い道のりであり、この慶節は遥かな星霜の道のりから見れば、一瞬にして一点の催事でもあります。この百三十年という式典は、再び出逢うことのない慶節でもあります。しかし、この一点の催事が園史の一頁を画する事業として永く後世に遺されることに思いを致せば、「この時、この式典」にめぐりあい、よろこびの出逢いを頂いたことに感謝せなくてはなりません。 感謝には、これと裏腹に報恩の業がなくてはなりません。今の世は、医療保険を含め介護制度は改革という激動する渦中に見舞われ、未だ先行き不透明な中にありながらも、輝かしい伝統と歴史を継承しこの度の慶節を迎えました。この慶事に当り、先述のごとく貴重な事業を遺して頂きました。報恩の極みでもあります。 時偶々、百三十周年とその軌を一にして広坂通りに設立された県庁府も、記念事業として駅西副都心に移転新築されました。更に、靖国神社も創建百三十周年を迎え、各種の記念事業が計画されつつあります。県庁舎は、かつて在職した行政職のふる里であり、靖国神社は先の事変戦争で生死を共にした戦友の慰霊の御社でもあります。共に生活の原点であり心の原点であることに想いを馳せながら、感慨一入深きを覚えざるを得ません。 静かに目を閉じれば、今は亡き先人の声が聞こえてまいります。慶節に感謝し、後世のため一層の精進を祈るとの声でもあります。
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名は体を現す
〜我等は園にこだわる〜 |
2003年6月 第30号 冒頭 |
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行財政、産業構造等の改革による今の世は激動と激変の日々であり、一世を画する歴史の転換期でもある。しかし、自然の営みは変わることなく、新緑目に染み季節の味覚に恵まれたわがふる里でもある。このふる里には、古来その郷にふさわしい名称、呼称が付されている。 この里を「石川県」とし「金沢市」と呼称されたのも、「日本地名辞典」を繙(ひもと)けば先人の深慮によるふさわしくて意味深い名称であることに気付かなくてはならない。 独りふる里のみならず、凡そ新しく創出される処にはその名称、呼称に思案、熟慮するのは常である。「名は体を現す」所以であろうか。福祉立県である県内各施設にも地域や要介護者の心を和(なご)むにふさわしい名称、呼称が付せられている。私共の施設は陽風園と定め、総じて各施設には園(苑に通ず)にこだわる名称が付されている。 青春時代、農学を修めた我々には農園、果樹園、造園があり、その園は人が作る美しく稔りある庭を意味するものと教えられている。そこには、人を呼び人自ら集まる美しくて自然の恵みを醸す園でもある。しかし、この園も常に肥培管理する人があっての園であり施設でもある。名勝兼六園もまた、庭造りの匠により人を呼びその名声を今もなを世に博している。施設に奉仕する我々もまた、園の呼称にふさわしく美しい庭造りの匠であり肥培管理者でもある。 我々は、園の呼称にこだわる。そこには、その名にふさわしく和(なご)む心の大切なことを忘れてはなるまい。
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創始百三十周年
〜園に寄せる譜〜 |
2003年3月 第29号 冒頭 |
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衣なくば寒風を凌ぎ得ず 人これがため泣く 食に欠くれば力尽き 人これがため窮す 住を失えば安住の宿もなく 人これがため路頭に迷う
川の流れ、緑も繁る森の都 わがふる里は屋並も美しく、人々は幸せを求めてこの郷に集う 時の世はままならず、衣も食も住もなく この街にも貧しくて流浪の人ここに在り この不幸見るに忍びず、翁これがため心を病む 自ら以って仁愛の一燈を点じ 志ある衆、またこれに共感し園を興す 歳月は人を待たず ここに星霜百三十周年の時を刻む ふり返れば事変、戦争あり 四面乏しくとも園の命脈は変わることなし その道のりは、「疾風に勁草を知る」の勁草である 遺徳を偲び感また深し 我々は、今この園に集まる 翁をはじめ、先人の伝承者であり使者でもある 改革という廻り舞台の今の世である 舞台は変わるとも、その源流は翁の志にあり 伝統とは、改革の連続である 我等は今心新たに福祉の道に励む 今日の一日を、幸せを求めて
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師走を迎え想うこと
〜失うもの、遺したものは〜 |
2002年12月 第28号 冒頭 |
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師走から年の瀬へと慌しく時を刻み、束の間にして新春を迎えることとなる。 ふり返れば「歳月は人を待たず」時の流れは余りにも速く、ためにあの時あの事の想い出も忘却の彼方に去りつつある。しかし、年の瀬ともなれば越し方をふり返り「何を為し、何を為し得なかったか」を自らに言い聞かせ反省の節期でもある。これはまた一面「何を失い、何を遺したか」を意味するもでもある。 行財政改革は、財政の出動にも拘らず長期不況を招き、不良債権の早期処理の加速政策は、倒産、失業、デフレをも増幅し、零金利政策は、老後の生活生計をも直撃し、貴重な財を失いつつある。長期不況による厳しい経済環境は、社会生活環境をも悪化し、これがため凶悪犯行を誘発し、尊い生命すら奪い、失い、脅かしつつある。 北朝鮮の拉致事件もまた尊い人命を奪い、生存者を含め二十有余年間に亙る心の空白を埋めることもなく越年することとなる。 ふり返れば多くの財も心も失った越し方とも言えよう。為し得ない反省を遺しての越年でもある。財を失うにあたり、これを修復することは至難な業でありながらも、これが修復には努力により可能な業でもある。失った生命と奪い脅かした犯行は、罪と悪の被害者の心の痛みを修復することは不可能である。 政治も行政も財政改革の緊要であることは、国民の合意するところでもある。しかし、今の世情は心の構造改革(教育基本法の改正等)こそ緊要不可欠であり、先行的課題でもある。幸い、我国は失ったものの多い中にも平和と四季の恵みを遺した越年であり、幸甚の極みでもある。 福祉とは、心の営む業であり聖域でもある。心を失った施設には福祉はなく、そこには不幸という心の財を遺すのみである。施設には心が宿り、この心こそ福祉の原点であり遺すべき無上の財でもある。
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涼を求めての海山に想うこと
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2002年9月 第27号 冒頭 |
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深山の森は何も語らないが、静かに目を閉じ耳を澄ませば何ごとかの声が聞こえてくる。海も、遠い海原から打ち寄せる波は何も語らないが、海浜を洗い何ごとかを語っている。人は皆、自然の声に耳を傾け、聞く心、語る心を忘れてはならない…。青春時代に暁烏 敏先生が主宰された「夏期講座」の折、先生から教えられた言葉であり、今も忘れることができない。 真夏日の連続で、人々は涼を求めて山も海も大賑わいである。山頂を極めれば、雲海の彼方を展望しながら次なる高峰へという希望もあり、森林浴という涼風もある。海水に涼を求むれば、波と戯れ海原を遠望しながら、果てしなき波の彼方に異国のあることを思いながら海原の平和を祈り、海浜浴という涼風に接することもある。 前者は、先生の哲学的な処生の教えであり、至言な戒訓でもある。後者は、人それぞれに思いは異なるものの、現実的にして直視観的な思いでもある。 何れもよく聞き、よく語れということである。同じく涼を求めての山や海であるが、暁烏先生の処生観には深遠な哲理によることを悟らなくてはなるまい。 お年寄りの入園者や心障者の多くは語らない。しかし、接すれば何らかの声が聞こえてくるはずである。「喋る口より聞く耳をもて」という言葉もある。自己主張に走ることなく、先ず、相手の声をよく聞くことの大切さを教えている。 聞くこと、喋ること、世は様々である。しかし、福祉には哲理による声なき声に耳を傾け、その声と対話することこそ福祉の原点でもある。
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