2020年07月06日  

祝35周年 開設記念日を祝う会~第二万陽苑

ご挨拶
 第二万陽苑は、昭和60年7月1日に開設し35年が経ちました。
 当時は、金沢市内に特別養護老人ホームは3か所しかありませんでしたが、現在は、特養が市内20数か所に増え、老人介護サービスが充実して利用しやすくなりました。
 昭和60年の出来事は、電電公社が分割民営化されて、NTT西日本が始まったこと。また、日航ジャンボ機墜落は忘れることのできない痛ましい事故でした。しかし、阪神タイガースが球団創設50年で初めて日本一になったことは明るい出来事でした。あの頃は、バブル景気の直前でもあり、日本経済は勿論、高齢者福祉政策もイケイケで元気があった時代だったといえます。
 今年は新型コロナウイルス禍により、全国の老人ホームから歌が消えるという残念なことになり、ご利用者様には本当にご不便をおかけしております。例年ですと歌や踊りのボランティアを外部から招いて、賑やかに開催するところですが、このご時世です。心ばかりのお食事と、職員の余興のみとなりますが、皆様が笑顔になっていただけましたら幸いです。

 

 食堂ホール前に設置した七夕飾りの短冊には皆様の願い事が。短冊に書かれていたのは、お孫さんが夢を叶えられることや、ご家族みんながお元気に暮らすこと。新型コロナ禍により長い間会えない状況下で、ご家族の幸せを思うお気持ちには、心うたれます。

 調理室謹製、お祝い膳。右下:赤飯、銀鱈、茶巾蒸し、黒豆煮、氷室饅頭等。左下:ソフト食もご用意しました。

 異動により4月から第二万陽苑に配属された職員による、泉鏡花「湯島の白梅」。「別れろ切れろは芸者のときに言う言葉」。早瀬役をケアマネージャーが、お蔦役を副施設長が熱演。手が滑って持っていた台本を床にぶちまけてしまい、ええい、ままよとアドリブで劇を進行させて、拍手喝さい。

 今年は演芸ボランティアをお呼びできないため、盛り上がらないのではという心配は杞憂でした。芸達者の職員ばかりで嬉しい誤算に。

 ご利用者様の笑顔が、職員の仕事への評価だとつくづく感じる瞬間です。

 第二万陽苑で長年受け継がれてきた演芸といえば「獅子舞」。今年も新しく習い始めたという職員が獅子頭を持つことに。ここでも、えっ。初めてとは思えないほどの迫力ある獅子の演技で、ベテラン棒振り役も相乗効果で共に鬼気迫る演技となりました。

 職員の演技をご家族様にもご覧いただきたかったのですが、入場制限のため、ご披露できずに残念です。しかし、演技するスペースを広くとることができて、伸び伸びとした迫力ある演技につながったようです。

 

 4月から第二万陽苑に配属された介護長Aが演じる忠治。異動職員と新採職員が演じる頑鉄と定八が加わり「国定忠治」を。「雁が泣いて南の空に飛んでいかあ」、「赤城の山も今宵限り~可愛い子分の手めえ達とも、別れ別れになる首途(かどで)だ」の名セリフを3人が熱演。

 皆様に喜んでいただけてよかったです。

 介護員が演じる番場の忠太郎はご存知「瞼の母」。彼の図抜けた演技力は、アマチュアの中に一人プロが混じっているかのようです。かつて役者を目指してアクターズスクールにもいたことあるという強者に、目が点になりました。

 寸劇団との記念写真に笑顔がこぼれます。最後に役者との記念写真って、、、大衆演劇あるあるじゃないの。

 出ました真打。寸劇団の団長は4月から配属された介護長B。お馴染み、尾崎紅葉「金色夜叉」。「来年の今月今夜、僕の涙で必ず月は曇らして見せる」。すがるお宮を突き飛ばす寛一のシーンはお約束ですね。新規学卒者が演じる寛一と介護長のお宮。シリアスなシーンにも関わらず会場は大爆笑。狙い通りの怪演でした。(施設長)