
2023 第二万陽苑 開設記念を祝う会 ~38周年~
第二万陽苑 『開設記念を祝う会』開幕!!
お時間頂戴致します!ロングバージョンですぞ!!
第二万陽苑は、定員150床、ショートステイ10床
誕生日は
昭和60年(1985)7月1日生まれ
満38歳になりました♥
まずは、会場に入るところにある七夕の飾りの前での記念撮影♥
梅雨の最中の蒸し暑いお外とは別空間の施設の中で、今日(6/30)は開設記念を祝います♡
1985年頃は、
携帯電話の先駆けとなった、ショルダーフォン(バブリー芸人平野ノラが手に持ってるやつですね)が登場!
・・・直ぐに姿は消しますが・・・
任天堂ファミコンで『スーパーマリオブラザーズ』が発売され、大人も子供もドはまり・・・?!
真面目な話に戻りますと、『第二次世界大戦終戦から40年』という節目でもありましたし
両国国技館の完成
第55代横綱 北の湖の引退の一方、昭和最後の大横綱といわれた千代の富士の最盛期でもありましたね!
TVでは夕やけニャンニャンが放送され、秋元康氏プロデュースによる『おニャン子クラブ』が誕生した年でもあります。
6/24には松田聖子サンと神田正輝サンの『聖輝の結婚』と世間を騒がせていましたね
第二万陽苑の今日の昼食も、皆さんを騒がせましたよ♥
いつもとは違った食事内容に、皆さん心躍らせていました♥
1985年に子供たちの心を躍らせていたのは
生放送の『8時だヨ!全員集合』
しかし、この番組はこの年に終了してしまいました。
大人の心を躍らせたのは、
21年振りの阪神タイガースの優勝でしょうか?
道頓堀にダイブする映像も懐かしく感じますね。…この頃は多めに見てもらえたのでしょうか?
お盆時期には、航空機史上最悪と言われた『日本航空123便墜落事故』もありましたね。
この年の年末から61年の2月にかけては、61豪雪と言われていますが、56豪雪や38豪雪の方が、石川県に影響があったようですね。
お?なにやら支度が始まりました!!
この法被は『加賀鳶』ですね!?
陽風園の職員には、消防分団に所属している職員もいます。
加賀鳶の歴史は古く、1718年に8代将軍 吉宗が1万石以上の藩に対し、江戸藩邸の火消しを強化するよう令を出したことに由来します。
加賀藩は、高所作業を得意とする鳶職人を集め、それを豪華にしたのは・・・当時の加賀藩5代目藩主の綱紀公。
父、光高公が早世し、3歳で5代目を継ぐ。その後見人をしていたのが祖父の利常公。
傾奇者としてのエピソードに事欠かないお人だったご様子なので、その英才教育を受けた孫・綱紀公も、そうだったのでしょうね(想像ですがww)
加賀鳶の火事場での勇ましい姿や、威勢の良いふるまいは、江戸中の人気を集め、浮世絵にもなったのだとか・・
そのため、大名火消しと言えば、『加賀鳶』を指すようになったそうです。
明治以降、大名火消しの役割を終えた当時の加賀鳶衆は、金沢に移り住み
その技と、威勢と気迫は、後世の世代に受け継がれていったという訳です。
お正月の出初式や、百万石まつりでさえ、こんな近くで見ることは殆どありません
なにしろ、室内での演技なので、普段使用する梯子は使えないので、
子供加賀鳶の梯子だそうですが、迫力満点!!
(ワタクシモ)皆さんの表情を写真に収めたりと忙しい時間でしたよ(笑)
ど素人の施設職員も基本中の基本を事細かに教えてもらい、
桃缶ほどの梯子の支柱にお尻を乗せてやり遂げました!!
皆さんとは記念撮影📷
能登の男、A氏は法被を着ると表情が生き生きと!!
7月から能登各地でキリコ祭りが開催されますから、現役時代を思い出し、血が沸き、肉が躍るのでしょうねえ
余談ですが、この金の纏(まとい)は子ども梯子登りのものだそうですが、ホンモノだそうです
総金箔貼り°˖✧
馬簾(バレン)と呼ばれる吹き流しのようなところは、革製°˖✧
お高いんでございましょ?
3〇万円だそうです・・・Σ(゚Д゚)
子ども用でこのお値段・・・ということは・・・
さすが金沢、金箔どころですね♡←ハナシヲカエル
さて、興奮冷めやらぬ・・・といったところですが、
これで興奮して夜に目がキトキ(◎_◎)・・・
・・・ということになるのは、身体に悪いので・・・。
ゆったり、まった~りと間食のお時間です♥
ほっぺが落ちそうになっている、皆さんの笑顔をご覧いただき、
38周年を迎えた第二万陽苑開設記念を祝う会の報告を
これにて・・・💕
次に待ち構えている行事は・・・
『夏祭り』かしらん?
see you~